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執筆者の写真石﨑公司

圓和道の歴史1

更新日:6月11日

■韓 奉器 初代宗師

한 봉기

(Han bong gi・ハン ボンギ)

圓和道錬武館2020


韓 奉器 初代宗師

1944年

 韓 奉器 初代宗師は1944年5月18日(陰暦4月26日)、日本の大阪で生まれ、5 歳で韓国に帰国。代々漢方の家系であり、漢方医学の3年生在学中に徴兵につき、徴兵終了後、大学を卒業し神学校(長老派教会)を卒業されました。

1960年代

 1960年代、韓 奉器先生は山寺にて「ポリン」と言う名前で修行していました。瞑想の修行中に、断続的に霊界からの啓示を受け、名もない武術を始めました。3,000人の仙人から4手ずつ、計12,000手の棒術を教えられたのです。 

2003年

 社団法人 世界圓和道連盟を設立 初代会長就任。

2010年

 韓 奉器 宗師は圓和道の創設と普及に尽力され、数々の世界大会等を主導されましたが、2010年2月10日(陰暦2009年12月27日)逝去されました。享年66歳でした。


曺 翊熏 二代宗師

조 익훈

(Cho Ieic hoon・チョ イックン)

略歴

1949年8月6日

  (陰暦7月12日)生まれ。

■延世大学(学士)

■世界圓和道中央修練院 総館長

1993年11月

中国圓極氣功委員会教授 就任

1997年 4 月

中国道家天圓形極功教授 就任

現在

■世界圓和道連盟 二代目宗師

■世界圓和道連盟 中央教育院 院長

曺 翊熏宗師のとび横蹴り


1972年

1972年、曺 翊熏 宗師は韓奉器 初代宗師と初めて出会いました。その時に韓 奉器 初代宗師から教わった技は棒術が主体で、関節技を含んだものでした。曺 翊熏宗師は、その高度な関節技の技術に驚き、その腕前に感服して弟子入りしたのです。

この時点では、まだ名も無い棒術主体の武術でした。「和術」あるいは、「圓和術」と名乗っていたのです。まさか素手中心の武術になるとは、その時は想像すらしていませんでした。韓奉器宗師が棒術の動きの中から回転攻防を発見する事で、次第に素手主体の武術へと体系化されたのです。



●1974年韓 奉器宗師と曺 翊熏氏・淸州龍華寺にて

1975年

 清平湖畔で圓和術を演武、老師より圓和術を『圓和道』と命名され、道着のデザイン等も詳細に決まりました。


 清平湖は北漢江を塞いで作った清平ダムによってできた人工の湖です。周囲の山々や湖が大変美しい所です。ソウルから50キロメートルしか離れていないため、現在では観光地として人気を呼んでいます。


 清平湖周辺には遊園地や別荘などがあり、また湖の北にある清平フェリー船着場から遊覧船を利用して美しい北漢江をのぼることもできます。湖では水上スキーをはじめ宿泊施設が完備されており休養地としても有名になっています。

●1975年韓 奉器宗師と유 해수氏・宗墓にて


1976年

 圓和道は1976年3月頃から本格的に編纂され始めました。韓奉器先生は地上世界だけではなく、霊界からも数多くの聖人や神仙人達から伝授を受けたと語られています。

最初の道場

『圓和道錬武館』

 ソウル市城東区、華陽里に小さな貸家で宿泊と修練場を兼ねた道場でした。  この場所で多くの血と汗と涙が流され、研究に研究を繰り返されました。ある時には食べ物がなくて飢えるのは茶飯事であったと言われています。

全基華氏の証言

 “ある日道場に入ったが韓奉器先生は何日を飢えていたのか、力がないように見えた。まともに食べることもできない大変な武芸を研究し錬磨されて民族武芸の復元という使命感なくしては一歩も前に進んでいくことはできなかったであろう。”  韓 奉器先生は圓和道を霊界から全て教わり体系化されましたが、約6年間を要したと言われています。圓和道の技術は本来、攻撃の数6000手、相対手6000手等、総1万2000手と推定されます。現在は8方向に5っずつ総40個(8×5)の基本形に整理されています。  現在の基本形以前には、八卦の原理を基本にした基本形があったそうです。八卦を基本にした基本形は一つの技術で短く構成されていました。方向は、3方向に分けて計24方向(3×8)だったと言います。

●1976年韓 奉器宗師と曺 翊熏氏

●1977年 清平にて


1983年9月

全国大学生修練会

ソウル城東青少年会館

1988年

10月3日 開天節(檀紀4321年)

各国の指導者に120ヶ国、800箇所に道場建設を指示。

第一次圓和道世界指導者修練会

(奉天道場)

 第一次の修練会は世界から多数の武道家が集まりました。奉天洞道場にて翌年1月まで修練会は継続し、韓 奉器宗師が直接に指導されました。

 マイナス十度、氷柱が道場の中にできるほどの寒中修練です。  

当時のポスター

 




1988年12月

奉天道場にて韓 奉器宗師より日本の道場名、『圓和道錬武館』を伝授される。

1989年1月

『日本圓和道錬武館』の看板を東京都渋谷区宇田川町に設置する。初代館長 山﨑省二


1989年8月1〜21日

第二次圓和道世界指導者修練会

8月1日 日本出国 ソウル着 

    清平湖畔へ

8月2日〜17日 清平湖畔で修練

8月18日 釜山ボンネッコル 観光

8月19日 慶州観光/石窟庵/仏国寺/博物館/天馬塚等々

8月20日 青坡洞訪問

8月21日 帰国 

清平湖畔の大テントでの修練

山﨑省二館長と石﨑公司副館長





1日のスケジュール

AM 5:40 起床

AM 6:00 ランニング・基本運動

AM 6:40 朝食

AM 9:00 午前修練

PM 12:30 昼食

PM 13:00 自由時間

PM 15:00 午後修練or登山

PM 18:00 夕食

PM 20:00 夜の修練(復習が主)

PM 22:00 自由時間

1日:8時間〜9時間の修練


1990年1月10〜30日

第三次圓和道世界指導者修練会

(奉天道場)



1990年4月2日〜

圓和道春季指導者修練会

全国学生1万人大会にて演武

日本 尾瀬での修練


1990年11月18日

第一回圓和道昇級昇段審査会

東京都渋谷区宇田川町の「圓和道錬武館」の道場にて開催される。


1991年

3月24〜4月6日

日本圓和道指導者修練会

奉天道場





















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