圓和道錬武館の歴史8 圓和道錬武館2020
■2020年2月19日~25日 ドイツ ライプツィヒ
圓和道 ヨーロッパ道場 表敬訪問ライプツィヒ駅はヨーロッパ最大級の駅です!
KARITAKANの看板
KARITAKANの外観 道場内部
Jörn Lühman(ヨルン館長)の家にホームステイしていて、ドイツ語を学んでいる女性が一緒に来ましたが、な、な何と、苅田館長の娘さんでした。ドイツ語を勉強するために一緒に会いに来てくださいました。4月からの就職が決まっていますが、ドイツ語を学びたくて、1ヶ月ほど滞在する予定だそうです。
石﨑公司館長 Jörn Lühman館長 苅田浩志館長の娘さん
『KARITAKAN』は苅田浩志館長が日本に帰国される直前に設立した道場です。現在は苅田浩志館長の弟子であったJörn Lühman館長が道場の責任者として頑張っています。
1998年5月2日〜5日まで福岡県北九州で行われた『韓 独 日 圓和道合宿』から22年という長い歳月の後に、こうしてライプツィヒで再開できたことは、夢のような奇跡でした。
『KARITAKAN』には圓和道と韓 奉器宗師や苅田浩志館長に対する深い愛情と情熱を感じさせてくださいました。
入口の靴箱には各種雑誌 道場中央
苅田浩志館長は当時ライプツィヒの大学で剣道を指導されていましたので、多くの弟子がいました。
若き日の苅田浩志館長
剣道の竹刀と木刀、防具一式
ライプツィヒは旧東ドイツであり、柔道や空手は反政府運動につながるとして、秘密警察によって厳しく取り締まりが行われていました。その中で隠れて武術の本を読み、森の中で隠れて修練をしたそうです。我々以上に「武道」を愛してきた人々です。
そのような環境の中、驚く事に、ここライプツィヒから東西ドイツが統一に向かった運動が出発した地であったのです。学生や市民も総出のデモにより、ベルリンの壁が崩壊したのです。
夕食までの空いた短い時間でライプツィヒ観光を、館長が企画してくださいました。二階のある観光バスで、1時間ほど市内の観光スポットを案内してくれました。
ハウステンボスの建物がコンクリートなので、比較すると大きな石造りの重厚さや荘厳な教会や建物群に圧倒されます。こんな凄いところは7日間くらい時間をかけて、ゆっくり探索したいものです・・・
ラーツケラー Ratskeller
ドイツの伝統的な市庁舎には、地下にラーツケラー(市参事会セラー)がある。その多くが、現在もなお、ラーツケラーという名前のレストランとして営業している。かつては、ドイツで郷土料理を食べたくなったら、市庁舎の地下に行けばよい、と言われたものだ。現在では、必ずしも郷土料理が食べられるわけではないが、その伝統は概ね引き継がれている。ところでこのラーツケラー、14世紀から18世紀にかけては、その名の通り、ワインの貯蔵庫兼販売所として機能していたのである。
◀️諸国民戦争記念碑 (戦闘から100年となる1913年、古戦場の中央に建設されたヨーロッパ最大の記念建造物)
1813年にはナポレオン戦争中最大規模の戦いとなった諸国民戦争(ライプツィヒの戦い)が行われ、ナポレオン1世麾下のフランス軍19万と、プロイセン・ロシア帝国・オーストリア帝国・スウェーデンの連合軍36万が激突する舞台となった。
Jörn Lühman館長の娘さんと一緒に写真
外見は長崎のハウステンボスの建物に似ていますが、それと比較すると本物の大きな石造りの重厚さや、荘厳な教会などの建物群に圧倒されます。こんな凄いところは長期間を滞在して時間をかけて、ゆっくりと味わいながら探索したいものです・・・
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