人を知る舞道
人を知る『舞道』
「三무」(サンム)の第二は、人を知る『舞道』(ムド)です。
舞道は人を喜ばせ、人を愛する道です。人間の本性は喜びと幸福を追求しています。闘いの世界を願う人は、誰一人いないのです。闘いのある現実世界に歌や踊り、スポーツや芸術活動を通して喜びと幸福に満ちあふれた平和世界を実現して行く道も、武道人としての使命です。人間の本性を深く知り、人と人とを結び、和合させる身体文化の根本が圓和の道であり、人を知る『舞道』なのです。
圓和道のもう一つの道場訓には『相生の道』、言い換えれば、『共生・共栄・共義』があります。相生の道とは、お互いが、お互いのために生きる思想です。圓和道には『必殺』はありません。自分の身を守るために人を傷つける行為を圓和道は拒否しています。
相生の道は、人と人、社会と社会が人種、国家、宗教、文化、言語等の壁を越え、協調し、調和し、和合して共に生きる「共生の道」です。喜びも悲しみも共に分かち合いながら共に栄える「共栄の道」です。悪を退け共に義に生きる「共義の道」なのです。
人類は一つの家族と言われていますが、人類が四海同胞の一家族の兄弟愛で結ばれるには、全人類の共通の親なる父母、『真の父母』が必要なのです。
宗教や政治、経済だけが人の心を平安に導くのではなく、その中心は家庭です。家庭での人間関係が社会、国家、世界へと拡大するからです。家庭和合が世界平和の要なのです。
今後、韓国と日本は東アジア共同体の中核的存在として重要な役割を担っていくでしょう。圓和道を通して円の根源を知り、競争ではない相生の原理を学び、天・地・人を敬い愛する共同体作りを実践することによって『共生・共栄・共義』が実現した世界を目指してゆくのが圓和道の『舞道』なのです。
韓 奉器宗師の講和2 1988年7月
健康を保ちコミュニケーションを促し共同体意識を形成する
ところで、現代社会の中で武道家はいったい何をしなければならないのでしょうか。これまで一般的に抱かれてきた武道のイメージとは、復讐のための手段であったり、あるいは相手に脅威を与える道具でした。いずれの場合も、人に危害を与えるためのものにすぎなかったのです。
けれども、これからの武道の役割は何かと言うと、第一に、人間の健康を保ち、増進させるものであること、第二に、人と人とのコミュニケーションを促す豊かなボディランゲージであること、そして第三に人間が『共同体』であるという意識を形成させうるものでなければならないでしょう。
もう少し詳しく見てみると、健康とは精神と肉体がバランス良く調和している状態です。例えば、土壌が豊かで耕かされていても水がなければ植物は生育しませんし、逆に、水があっても土壌が貧しくて耕かされなければ、やはり植物は育たないのと同じです。
武道もそうです。精神的にも深く思いを巡らし、肉体も鍛えなければなりません。その上でさらに、食べ物の中に毒が入っているか否か、今聞こえる音は何メートル先のものか等々を感じ取れるほどに、霊的に研ぎ澄まされていなければなりません。
このような精神集中を通して、生命力は復活し肉体的な病気も治癒されやすくなっていくのです。
ところが現代のスポーツは、スピードはあっても直線的な運動が多く、また体の片側だけを偏って使っている場合が多いのです。これではどうしても、体を壊してしまいます。
圓和道が、現代のスポーツに対して提示しているものは、直線上を行ったり来たりする運動ではなく、円状あるいは円状の回転運動を通して片側に偏っていたこれまでの運動を、両側に平均的に分散させることです。それによって、人間のもっている原初的な能力が開発され、強靭な健康体がつくられていくでしょう。
次に二つ目の、人と人とのコミュニケーションを促す豊かなボディランゲージであるというのを考えてみましょう。
従来の宗教が精神的な救いばかりを追求してきたために、民族を守り国家を守るために発達してきた武術に対して、明確な方向性や価値を与えることができなかったのです。一方、武術家たちも精神的なものを吸収し、それを理念的に体系化できなかったのです。
そのために、人と人のコミュニケーションを促しえるスポーツへと展開していけなかったのです。いわばスポーツの暗黒時代が続いてきたと言えるでしょう。ですから現代の武道はスポーツのあらゆる形態、すなわちあらゆるスポーツのボディランゲージの可能性を人々に提供しなければなりません。スポーツを通して人と人のコミュニケーションの輪が広がっていくのです。
武道はスポーツとなり、武芸文化・舞台美術へと発展していく
三つ目の、人類が共同体であるという意識を形成させるには、武道がとても役に立ちます。武道には先生と弟子、先輩と後輩という関係が明確に位置づけられ、生命を貴重しする思想が確実に根付いているからです。
ですから、これまでは危害を与えるために用いられてきた武道が、今後は礼儀正しさを養い、生命の尊厳さを伝えるものとなっていくでしょう。
最後に付け加えれるとすれば、世界中にある数多くの武道の流派は、今後それぞれがスポーツの形態をとり、さらに武芸文化とか舞台芸術のような方向へと発展していくのではないかと思います。舞台上で各流派の芸術的表現を競い合えば、老弱男女を問わずみんなが参加できるのですから。そうなれば、武道の各流派が融合していく道も開けるでしよう。